あのころ、百万遍は戦場だった

文系の院生にとって、そもそも日常的に密な用事などなかった。世間が汲々としているのを横目に見つつ、比較的いつも通りの生活が続いている。そんな中で最もコロナ禍を感じるのは、土曜の夜に百万遍交差点の第二象限を歩くときである。
 

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中途半端に広い歩道に見えるのは、マスクをしてセブンに向かう保温性に特化したダウンジャケット数人と、自分の存在する座標が喫煙所だと言わんばかりにスマホを見ながらタバコを吸うウーバーイーツの配達員。そこのマックはすぐに獲物にありつけるらしい。生き方がハイエナである。
 
スペースが余り過ぎなのだ。百万遍第二象限の歩道がこんなに広いのは何のためか。言うまでもない、100人単位での一次会を終えた大学生がたむろするためである。まだセブンもサイゼもなく、薄汚れたパチンコ屋が古いネオンを光らせていたころ、そこには常に酒臭い喧騒があった。
 
 
 
 
21時の百万遍は戦場である。写楽から、ももじろうから、くれしまから出てきた面々が集まり、視線をふらふらと漂わせる。少しでもクオリティの高い二次会はどこか、サークルのかわいいあの子はどこにいるのか、もう少し飲めばヤれそうなあいつは誰の二次会に行くのか。すべての男が、酔ったフリをしながらも目だけはハイエナとなり、戦々恐々とした場の空気を読み合っている。いくら目を凝らしたって、どうせいつも結論は変わらない。少し飲めばヤれるあいつは颯爽とばちやに向かい、かわいいあの子は終電を待たずに帰る。明日の3つ上の先輩とのデートの方が大事だ。当たり前の話だ。
 
ばちやに知性は必要ない。えびせんという名のエビ果汁0%の油脂を食べながら、ビールをチェイサーに鬼ころしを飲み、4つ打ちのコールに乗ってオールする元気がある者だけが勝てる世界だ。そしてそこで勝っても何の得もなく、ただ3000円と健康な睡眠時間を失う。そしてそれらを代償に、彼らは商社の内定を得る。彼らに眉を顰めつつ、「知性の象徴たる京大生として恥ずべき所業だ」などとのたまいながら、アパートの一室で日本の経済の未来について語る京大生よ、日本の経済を回すのは結局、君らではなくばちやなのだよ。
 
ピラミッドの最上段に登れなかったときには、にわ・とりのすけが二次会にうってつけだ。人数が入るため、だいたい入り損ねることはない。二次会から参戦族もぽつぽつと現れる。三条四条でインカレサークルの一次会を終え、飲酒運転のチャリをぶっ飛ばしてきた赤い顔が数人増えている。「ほな、ノスケおるし」なんて電話して、さらになかまをふやそうとしている。知っているぞ、お前も向こうのばちやに行けなかったんだろう。妙な親近感を覚えながら、誰のものかわからない発泡酒のジョッキをあおる。
 
23時になったら、顔も知らない先輩がいきなり来たりする。やけにニコニコと話しかけてきて、一通り自己紹介してみたりする。聞けば博士課程の26歳だと言う。何をしている人なのか気になるけど、聞いてもし分からなかったときが怖くて聞けない。「俺が大学生になったときお前ら中2かよ~」って、計算上そうだけれど、「だから何なんだ」が勝つ。「すご~い」なんて言ってみたりする。別にすごくはない。
 
何度も飲みながら日をまたいだけれど、24時以降に有益だった飲み会は1つもない。飲み会は物理法則のもとで開催されるため、慣性の法則にしたがっており、誰も急には止まれないだけなのだ。これは未解決の現象なのだが、24時ころにすっと摩擦が弱くなる。センター試験の物理Iを必死に解いていたころの「ただし摩擦は無視してもよい」の呪縛は、ずっと潜在意識の下で燻りつつ、25時のとりのすけでいきなり爆発する。等速直線的に進む明け方の飲み会で起こったであろうあれやこれは、記録にも記憶にも残らず、静かにいくつかのトイレに吐かれてゆく。
 
 
 
夏は殺伐とした店の取り合いなど必要ない。冷房27度に設定された真夜中の鴨川デルタは、どんな人間も受け入れてくれる。気になる子が帰らないようにあれやこれやと画策しつつ、成功したり失敗したりしつつ、おもむろにデルタに向かい、道中のセブンで大量のスミノフとブラックニッカと花火を買う。ブラックニッカ組とスミノフ組は流派が違う。デシベルの燃費が悪い方がもちろんニッカだ。そんな相容れない2組も、鴨川の大きな流れはゆったりと包み込んでくれる。
 
終電が去り、少し静かになった川面で、余った線香花火に、喫煙者のライターで火をつける。警察が来るからロケット花火はNG、だけど手持ちなら大目に見てくれるのが人情の街、京都。
 
ここからはいつもと何も変わらない。摩擦は消え、飲み会は続き、誰かが買い足してきた金麦を開けて、そして空ける。夜が更けて白んできたら、おもむろに先輩の句を口にしてみたりする。
 
「問十二、夜空の青を微分せよ。街の明りは無視してもよい」
 
 
 
 
始発の音を合図に、別れの挨拶もそぞろに、それぞれが眠りにつく。